天使の階段を見つけた話
何度も何度も見て確かめたいのですが、チケットもお金もない私は、無駄にずーっと考えたりしてしまいます。
何故か、恋するヴァンパイアの哲くんと、Defiledのハリーについては、とにかく生い立ちを考えてしまいます。
ふたつのキャラクターが書き込みが足りないのか、私の思い入れが強いのか(笑)
ところで、最近はもっぱらハリーについて考えていたのですが、朝方こんな感じの絵を見てしまい
(ネロがハリーで、場所が教会でなく図書館なのです。)
あーと思うことありました。
同じく最近の投稿で、最後のシーンでハリーが目を綴じたというものがあって、私が見た時は、瞳孔まで開いたように見えるほど虚無の顔だったハリーに何があったのだろうと思いました。
間違いなく解釈の変化があったのだと思うのです。
ハリーが銃弾や爆弾の向こう側に、何かを見つけたのだと。
全てを絶望のままで、最後に人間として扱ってくれたブライアンを、巻き添えにしないようにって言う気持ちと、リセットするのだという気持ちが感じられたハリー。(これも勝手な私の思いですが。)
だからこそ決意を持っての最後だと思っていたのです。
ところが、目を綴じたのだとしたら全く違う。
彼はそこに、何らかの終わりを見つけていて、しかもそれに満足しているということなのではないだろうか。
長い公演の中で演技が変わるのは良くあることだし、解釈も変わることはよくある事だと思います。
でもどんな気持ちの流れがそこにあったんだろう。戸塚くんの頭の中で、どんな思いがあったのだろう。
そんな矢先の先ほどの絵だったのです。
(もちろんその絵はここでは出せませんが)
ところでフランダースの犬は、誰もが知っている児童文学ですし、昭和生まれの日本人なら、みんな見たことあるアニメだと思います。
私もこの話はアニメで知りました。
深く物語を読み解くなどと言うことを思いもしなかった子供の頃、ただただ悲しい話で、はっきりいって大っ嫌いでした。
ところが大人になり、美術を仕事として扱うことになり、入門書として目にした本に、こんな特集があったのです。
女子高生の彼女は、手紙を書きます。
フランダースの犬のネロが見た絵を見たいと。
その頃童話や子供の読む物語に、ちゃんとしたモデルがあるとは思っていませんでした。
ネロが熱望した絵とはどういうものだったのどろう、私もとても興味を持ち、ページをめくる手がもどかしいくらいでした。
今ここにその本がないのて、だいたいこんな感じという話しか出来ませんが、実はこの話はベルギーの人にはあまり馴染みが無いばかりか、アニメファンの観光客によって教えて貰っているくらいだと言うこと(この本自体が30くらい前のものなので、今では違うでしょうが)
実際ネロが見たかった、ルーベンスのキリスト降架は3面になっていて、拝観料を払った人だけが見れたという事。
クリスマスの夜、全てを絶望してネロは教会の閉め忘れた戸から、中に入ります。
閉め忘れた隙間から、ネロが一度でいいから見たいと願っていた絵を、月明かりの中微かに見ることが出来るのです。
(うろ覚えなので間違っていたら申し訳ありませんが、確かこの日だけは無料でその絵が見れる日だったのに、教養も優しい大人も周りにいないネロに、そんな事を教えてくれる人はいなかった。)
これは天使がくれた自分へのプレゼントだと解釈したネロは、大好きなパトラッシュと一緒に、おこがましくも母の面影を描いていた、マリアと天使の絵の導くがままに天に登ります。(なんて無情の話なのか)
ハリーはユダヤの血が混じっているので、宗教的には違いますが(詳しくはわかりませんが)
八百万の神が周りにいると信じる日本人の私としては、人が思う神の根底は同じなんだと思います。
たぶんハリーは、何らかの許しを母や神様に貰って、そしていなくなったのだと思うのです。
なんかそう思うと、私の中の可哀想なハリーが、救われた気がします。
絶望的だったハリーの向こうに、戸塚君が何を見つけたのかはわかりませんが。
まだ福岡がありますからね、ハリーはまた変わるのかもしれないですけどね。