阿呆浪士を見る阿呆は罪深い
阿呆浪士見てきました。
いつもどおり私の中でねじクリ曲がった解釈を吐き出します。
戸塚くんの役
棒手振りの八っつぁん
ぴょんぴょん跳ねて踊って回って歌って、
だらしがなくて飲む打つ買うで、なるほど!落語の世界の住人だとの事、納得のいく人物像でした。
八は奥さんがいるのに女の子にちょっかいを出すような男だし、ヤクザな友達までいる。
でもそのヤクザな友達も、そうなりたくてなっている訳ではない、自分の境遇や生まれ育った環境からの事。
貧乏人が貧乏から脱するのは勉強しかないって今の世の中でも言うけど、無知だからこその人生で、でもその中で生きながらつかんできた生きるための知恵なんかはあったりするから、余計辛いのかなとも思ったり。
八は漠然とした金持ちに憧れたかも知れないけど、スカピンは八にも憧れてたんだろうなと勝手に思いを巡らします。
貞四郎という赤穂浪士は、ものすごく真面目な人で、途中から八と人生が入れ替わるような運命を辿りますが、貞さんと言う人を見ていると、八は本当はいなくて、物分りのいいお嫁さんもいなくて、長屋小町はおじさんなんかに目もくれなくて、スカピンと一八は何時も2人でつるんでて、八って人はみんなが作り出した幻想なのかも知れないなって思って見てました。
風車屋と仲のいい八も、エッチでダメ人間の八も、赤穂浪士になってしまう八も、みんなの頭の中だけの人なんじゃないかなって。
それくらいなんか実態がないような、なんて言うか、真夏の夜の夢のパックのような、妖精みたいな存在だと思ったんです。
妙に人間臭い妖精だけど(笑)
八が実態がなければない程、貞さんの存在が際立って見えるなとも思いました。人間臭いですもんね貞さん。とっても実直で、真っ直ぐで良い青年です。彼には幸せになって欲しかったな。
最後雪の中から花吹雪になる頃、ひっそりと亡くなる貞さんは哀れでした。
あの時吉原なんか行ってなければ。そもそも殿が殿中で刀を抜かなければ、あのような運命は辿らない訳ですから、人の人生の変わるきっかけって、いろいろあるんだなと、当たり前の事を思います。
自分以外の人が血判状を返した時なんで貞さんは返さなかったのか。
もちろん忠義という事もあったのでしょうが、多分それ以外の人生を知らなかったんでしょうね。
江戸の街で暮らすうちに、町人に憧れを感じても可笑しくないし、八っさんってキャラクターを頭の中に描いても可笑しくないかな。
さてさて
もちろんこの話には脚本があるのだし、何度か上演された事もあるから、私の考えはただの妄想なのですけど。
あの阿呆浪士のお話は、貞四郎さんの頭の中、芝居小屋で見たお芝居のような、そんな自分勝手な聴衆が沢山いるような、そんな想像をするしか無かった、貞さんの頭の中の1幕なのじゃないかと思いました。
市中の熱狂は他人事のような、お芝居のような感覚だったんじゃないかなって。
そう見ながら思ったのです。
貞さんだけじゃなく、みんな幸せになって欲しかったな。
人の為でなく、自分の為にも生きれる今の時代が続きますように、最近忠臣蔵見てるとそんな事すごく思います。
時代が時代だけど、今その関係ないと思った光景が、目の前に迫ってる気もするのです。
兵隊になるな!そう思うと同時に、
阿呆のフリして無責任に他人事を語る、そんな聴衆民衆にならないように、私もしないといけないな。
ところでよ!八さんと貞さんが裏表ならあの二人は一心同体って事か…
あー、もう一度見たいな。