life is beautiful !

勝手な想像と思い重い

リンネについて

衝撃のとつぶろが公開されましたね、リンネの歌詞は橋ちゃんが全部書いたものではなかった。(橋担さんに申し訳ない気持ちでいっぱいです)

 

何となく勘づいていたというか、勝手な私の思いとしては、戸塚くん曲だけでかけるんだってのが大きかったので、でもメイキングではテーマがあるとは言ってたから、(そこに引きずられたくないとも橋ちゃん言ってたけど)テーマがあるから作曲出来たんだなって自己完結出来てたんです。

 

戸塚くんは溢れる気持ちや衝動を、パフォーマンスや書くことにより消化してきたんだなってずーっと思ってて、書くこともダ・ヴィンチの連載を通して育んで来たもので、これを手に入れたのもつい最近な訳ですが。

溢れ出して止まらない何かをどう表現するかわからない時に、(これももちろん勝手な想像ですが)坊主事件のような事が起こっていたと思うんですよね、色々な表現方法を取得することによって、彼はどんどん最強になっていくと思うし、自分の中の感情と向き合えることによって整理が付いてきて、最近の固定化したビジュアルへと繋がっているのではないかと思ったり。

 

私も言葉が苦手なので、本当に表現するのは難しい。

 

話は戻りますが

 

 

メイキングで固定観念に縛られたくないって言ってた橋ちゃんに、ガッツリ歌詞を提示していたらどうしようとか、それを見ていいと思ってくれたから添う歌詞にしてくれたのか、橋ちゃんが喋ってくれないとわからないのですが。

馬鹿な戸塚担の意見としては、1番の歌詞のアンサーとしての2番はよかったよって思います。

1番のAメロとBメロ

私は橋ちゃんの言葉の方が好きだな。

橋ちゃんのチョイスがあるからこそ2番が染みると思います。

それにしてもどっちがさきなんだろ。

もっと早く気づくべきだったよね、きっと懸命な戸塚担は気づいてたんだと思うのよ、戸塚くんの言葉選びだものね。

 

 

話はぐっと変わりますが、一つ前のブログでも書いたけど、ロケットマンを見てきたんですね。

毎日サントラ聴いてるんですけど、エルトン・ジョンは歌詞が書けないと告白してるんですよね。

それを見ていて、きっと幼少期から考える事を止められてたから書けないんだなって思いました。

言葉を紡ぐのは技術と経験だと思うので、普段から自分の言葉で表現するのを許されなかった人がやるには難しいのだなと。

でも彼が詩に寄り添う曲をかけるのは、優しいからだと思うので、優しいからこその悲劇が、起こる物語の展開は納得だなと思ったのです。

 

同時期にRayも見たんですけど、表現者に表現することを止めるのは、本当に罪な事なんだなと思ったりしたんだよな。

 

 

話がぜんぜんまとまらないね。

 

 

 

確か赤毛のアンの作者の自伝的な作品で、自分が経験したことの無いことを書くのは難しい。

どんなに華美な言葉で彩っても薄っぺらだと批評されるシーンがあったと思うんですけど、想像力だけでは補えない熱い思いを、正直にぶつけてくれるほど信用されているんだなって思うと凄く嬉しいし、お兄ちゃんの熱すぎる思いに答えてくれた橋ちゃんがいい子すぎて本当にありがとうって思います。(たぶん経験値で感じ取ったのでしょうが)

結果私は振り付けも衣装も映像もとても好きだったのですが、橋担さんが嫌いにならないで欲しいなってそれだけ凄い勝手ですが思ってます。

甘えてるのかもしれないけど思ってます。